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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)13249号 判決 1991年1月29日

原告

小林みつ姜

右訴訟代理人弁護士

伊藤清人

右同

伊藤哲

被告

吉原達夫

右訴訟代理人弁護士

西山明行

主文

一  被告は原告に対し、金三九〇二万三九八九円及びこれに対する昭和六二年二月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決一項は、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

被告は、原告に対し、四二二二万七九二五円とこれに対する昭和六二年二月一日以降支払済みまでの年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、腰痛を訴えた原告が、被告の整体施療を受けたところ、脊髄不全損傷(馬尾神経麻痺)の障害を負ったとして、民法七〇九条に基づいて、損害賠償を請求する事案である。

一争いのない事実等

1  原告は、昭和六〇年二月ころから腰痛を訴え、同年五月一三日から同月二三日まで、東京都葛飾区堀切四丁目一二番一〇号林整形外科に通院していた。同病院の診断では、変形性脊椎症(右根性性座骨神経痛)で、第三、第四腰椎間に椎間板ヘルニア症状が認められ、第三腰椎右下端部に軟骨が飛び出している状態にあったところ、知人から被告の整体施療が腰痛に効くと勧められて、同月二七日、被告方施療院(以下「施療院」という。)を訪れた(<証拠>)。

2  原告は、施療院の整体施療室に入り、施療台の上に乗ったが、被告は、施療の準備のため、仰向けに寝た原告の足を、膝の上下二か所でバンドで固定し、さらに足の裏に加振機(足の裏に板を当て、爪先を体の方に傾ける装置)をかけたうえ、原告に対し、頭を起こして前屈をしてみるよう指示した(争いがない。)。

3  原告は、施療院を出るときには、腰部の激痛のため、直立歩行ができず、さらに帰宅後は、腰部の痛みに加えて、排便排尿ができなくなった。そこで、同月二九日被告に連絡し、被告の手配した苑田第一病院の救急車で同病院に入院した。同病院に同年六月二一日まで入院したが、経過が思わしくないため、同日日本大学医学部付属板橋病院に転院した。同月二二日、同病院で診察を受けた結果、第三腰椎の下から突出していた軟骨が、脊髄部分に当たり、脊髄神経(馬尾神経)を傷つけていたこと(以下「本件傷害」という。)が分かり、神経を損傷した軟骨を取り除く手術を受けた。

4  原告の症状は、昭和六二年一月三一日に固定し、馬尾神経不全麻痺により、左右の足の関接が不安定になっていて、特に左足は、歩行のために短下肢装具を必要とする。知覚は、両下肢外側から足先まで鈍麻ないし脱失に近い状態である。また神経因性膀胱で膀胱機能の低下がある。性機能も低下している(以上をまとめて以下「本件後遺障害」という。左足下肢の麻痺については争いがなく、その他の事実は<証拠>によって認める。)。

二原告の主張

1  本件傷害は、被告が事前の問診等により原告の病状を十分確認しないまま、原告の両足をバンドで固定したのち、被告の手で原告の後頭部を押さえ、原告の身体を無理に前屈させる動作を数回繰り返すという被告の重大な過失に起因するものである。

2  損害額

(一) 逸失利益 二五二四万〇九二五円

原告は、本件後遺障害の症状固定時(昭和六二年一月三一日)満三九才(昭和二三年一一月七日生)の女子であり、本件傷害を受けなければ、その後六七才まで(二九年間)稼働可能であり、その間昭和五八年賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者の全年齢平均賃金年額二一一万〇二〇〇円を下らない年収を得ることができたはずである。原告の本件後遺障害は、自動車損害賠償保障法施行令二条別表後遺障害別等級表の第五級二号「神経系統の機能に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当するものであり、労働能力喪失率は七九パーセントである。右期間に対応するライプニッツ係数は15.141であるから、逸失利益は、左記計算式のとおりである。

2110200×0.79×15.141=2524万0925円(円未満切捨て)

(二) 休業損害 三五一万七〇〇〇円

期間 昭和六〇年六月一日から昭和六二年一月三一日まで二〇カ月間

収入 昭和五八年賃金センサスの右平均賃金二一一万〇二〇〇円で計算すると休業損害は、左記のとおりである。

2110200×20/12=351万7000円

(三) 入通院慰謝料 金二四七万円

原告の本件施療後の入通院状況は、以下のとおりである。

昭和六〇年

(1) 五月三〇日〜六月二一日 苑田第一病院入院

(2) 六月二一日〜一〇月一六日 日本大学医学部付属板橋病院入院

(3) 一〇月一六日〜一二月二四日日本大学稲取病院入院

昭和六一年

(4) 二月一三日〜三月一六日 右同

(以上入院期間計二四三日)

以降昭和六二年一月三一日の症状固定まで日本大学板橋病院等に計四〇日間通院した。

(四) 後遺障害による慰謝料 金一一〇〇万円

以上合計金四二二二万七九二五円

三被告の主張

1  被告は、原告を施療台に乗せ、バンドと加振機をかけ、原告に対し自分で前屈するよう指示したところ、原告は自力で二ないし三回前屈運動をしたが、急に痛いと言って騒ぎ出したため、被告は、即座にそれ以上の施療行為を中止した。したがって、被告は、原告に対し施療行為を行っていない(右前屈の指示は、施療の準備行為である)。

のみならず、原告が施療院を訪れた際、原告は既に単独では歩くことができず右準備行為前の被告の問診に対しては、「二、三日前に急に動けなくなった。膝まで痺れがある。」と述べたものの、被告が繰り返し尋ねたにもかかわらず、林整形外科に通院し、治療を受けていることは言わなかった。

2  原告は、施療院を訪れた際、既に腰痛のため就労不能な状態であったから、原告主張の逸失利益、休業損害、慰謝料等は認められない。

四争点

1  被告の施療行為上の過失の有無。殊に、被告が原告の頭を押さえ、前屈させる行為を行ったかどうか。

2  損害の有無と程度

第三争点に対する判断

一争点1について

1  原告は、被告に頭を押さえつけられて数回前屈させられた旨供述するが、他方被告は、原告に自分で前屈するように命じたが、被告自身は手を出していない旨供述している。

まず施療院へ入る前の原告の症状は、以下のとおりであった。林整形外科における診察結果によれば、原告には第三、第四腰椎間に椎間板ヘルニア症状があり安静にしていても痛みがある状態であった(<証拠>)。そして通院治療を受けており、コルセットを作っていた。施療室に入る際も、痛みはあったが、自力で歩行していた(<証拠>)。

(なお原告には、これ以前に第三腰椎の下に古い骨折痕があった旨の証拠(<証拠>苑田医師からの事情聴取書)もあるが、直接原告の治療を担当していた林医師や他の医師は、そのような骨折痕を認めていない(<証拠>)うえ、苑田医師自身、原告の問い合わせに対しては「骨折痕のような突起物」とか「突起状の異常」としかいっていないこと(<証拠>)に鑑みると、苑田医師は、飛び出していた軟骨を骨折痕と見間違えたものと推測される。

また被告は、原告が施療院を訪れた際、既に単独では歩行できなかった旨主張し、被告本人もそれに沿う供述をしているが、他方では被告自身「(原告が施療室に入ってくるのを)よく見ていなかった。」と述べており、右供述部分は曖昧であり、原告本人の供述と対比して信用できない。)

ところが、前記施療台から降りた直後の原告は、自力で立つことができず、治療室から待合室まで這って行かなければならなかったし、その当日から左右の足の運動機能と感覚が麻痺してしまい、帰宅直後から尿が出なくなり、安静にしていても腰部に激しい痛みがあった(<証拠>)。

以上の事実によれば、原告の症状は、施療台に乗った前後で明らかに異なっている。そのうえ以前にはなかった両足の運動機能、感覚のマヒ、膀胱機能の低下など馬尾神経系の異常がその直後から表れている。そして、原告のように腰椎から軟骨が飛び出していた場合、施療台の上で両足を固定して、爪先を体側に傾けた状態で、強い力で前屈すれば、脊髄(馬尾神経)を傷つけるのは通常考えられることである。したがって、原告が自力で前屈を試みただけであるという被告の前記供述は、信用することができず、やはり被告が原告の頭を数回押さえつけて前屈させたものと認めざるをえない。

2  被告の過失

被告は、医師ではないが、腰痛等の施療業務に従事している者である。被告の行っている整体施療は、「腱を伸ばす」ことを目的にしており、手や腕を使って患者の体(特に脊椎、首等)を強い力で、押したり、引っ張ったり、ひねったりするものである(<証拠>)。この業務は、医師の行う治療と同じように、人体に重大な影響を与えるものであり、必然的に危険性も伴う。それ故、本件の場合、被告は、原告に対する問診、触診を通じて、原告の腰痛が単純な腰痛ではないことが、高度な医学知識によらなくても、被告の経験上からも分かった(被告本人)というのであるから、なお一層問診やレントゲン撮影(施療院には設備がないが、苑田第一病院で、施療前にレントゲン撮影をしてもらうことができる(被告本人)。)等の諸検査を尽くし、適切な経過観察を行って、整体治療を行うべきかどうか判断すべき業務上の注意義務があったというべきである。ところが被告は、右注意義務を怠り、簡単な問診、触診を行っただけで、原告に対し前屈を命じ、自ら原告の頭を数回押さえつけて前屈させた過失があったというべきである。

なお被告は、原告に対して、病院にかかったことがあるか等問診したところ、原告がないと答えた旨供述するが、仮にそうであったとしても、被告自身、原告の腰痛が相当長期間にわたり、しかも膝まで痺れがあるくらい進行していると思ったというのであるから、やはりなお一層の慎重な問診、検査をすべきだったと言わざるをえず、右の事実によって、被告の過失が否定ないし軽減されるものではないと解する。

二争点2について

1  逸失利益

原告は、本件後遺障害の症状固定時(昭和六二年一月三一日)満三九才(昭和二三年一一月七日生)の女子であり、夫と同居し、家事労働に従事していた(原告本人)。そして、現在の原告の前記症状は、自動車損害賠償保障法施行令二条後遺障害別等級表の第五級二号「神経系統の機能に著しい障害を残し、特に軽易な労務以外の労務に服することができないもの」に該当すると認められる。労働能力喪失率は、労働能力喪失率表(労働省労働基準局長通牒昭三二・七・二基発第五五一号)を基準として、前記認定の原告の本件施療以前の状態(椎間板ヘルニア症状があり、安静状態でも痛みがあり、コルセットを作っていたこと)を考慮して、六〇パーセントを相当と認める。

被告は、原告が本件施療前に就労不能の状態にあり、回復の見込みもなかったから逸失利益、休業損害、慰謝料も認められない旨主張するが、原告は、椎間板ヘルニア症状があっても、林整形外科に自転車で通院し、牽引治療を受けていたにすぎず、また施療院では、自分で歩いて施療室に入っており、治療の継続により充分就労可能だったもので、逸失利益等がないとはいえない。

したがって、原告は本件後遺障害を負わなければ、その後六七才まで(二九年間)稼働可能であり、その間昭和六二年賃金センサス第一巻第一表の産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者の全年齢平均賃金年額以下の金額である二五三万七七〇〇円を下らない年収を得ることができ、右期間に対応するライプニッツ係数は15.141であるから、逸失利益は左記計算式のとおり二三〇五万三九八九円となる。

253万7700×0.6×15.141=2305万3989円(円未満切捨て)

2  休業損害

期間 昭和六〇年六月一日から昭和六二年一月三一日まで二〇カ月間

収入 昭和六〇年賃金センサスによる産業計、企業規模計、学歴計、女子労働者の全年齢平均賃金は、二三〇万八九〇〇円であるが、本件施療前の原告の椎間板ヘルニア症状、稼働状態等を考慮して金一五〇万円を相当と認める。

したがって、損害額は、左記計算式のとおり二五〇万円となる。

150万×20/12=250万円

3  入通院慰謝料

原告の本件施療後の入通院状況は、以下のとおり認められる(<証拠>)。

昭和六〇年

五月三〇日〜六月二一日 苑田第一病院入院(争いがない)

六月二一日〜一〇月一六日 日本大学医学部付属板橋病院入院(争いがない)

一〇月一六日〜一二月二四日 日本大学稲取病院入院

昭和六一年

二月一三日〜三月一六日 右同じ

(以上入院期間計二四三日)

以降昭和六二年一月三一日の症状固定まで日本大学板橋病院等に計四〇日間通院

以上の事実によれば、金二四七万円を相当と認める。

4  後遺障害による慰謝料

諸般の事情を考慮して、金一一〇〇万円を相当と認める。

5  以上合計三九〇二万三九八九円を本件と相当因果関係ある損害と認める。

(裁判長裁判官大澤巖 裁判官土肥章大 裁判官齊藤啓昭)

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